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「平清盛」と三浦一族

 投稿者:ミタケ  投稿日:2012年 5月11日(金)23時58分48秒
  2012年3月4日(日)NHK大河ドラマ平清盛
第9回「ふたりのはみだし者」藤本有紀作、時代考証:高橋昌明・本郷和、衣装:小泉清子。

 開始から12分25秒後、樹齢500年以上の楠の木に登った源頼朝の父である玉木宏が、演じる源義朝(みなもとのよしとも)は鎌田正清(趙珉和)に対して、武常晴の祖父である三浦義明が、二人の供を従え「近頃、我が荘園を荒らしまわる連中があり、退治して頂いた暁には、三浦一族を従えて、源義朝様にお仕えします」と言うと、源義朝は「参ろう」と言います。

 この場面は、それまで三浦氏は、関東の地で平家に仕えていたのですが、源氏に仕える決心をした、三浦一族にとっては、非常に大きな転機である場面だと感じました。時代は1139(保延5)年か、その前年辺りのようです。

 このドラマでは、平安時代に京都における朝廷と武家の生活を現実に近い形で、男性好みのように歴史を再現しているように感じます。最近のドラマは女性受けするように優雅できれいで派手な衣装を使う傾向があるように想えます。一方で古文書や掛け軸の鑑定で有名なある鑑定士は、極端な発言ですが「ドラマは、事実と異なる脚色がされているので見ない」とも言われています。

 脚色はあるものの武氏が、武士として活躍、そして関東や京都、平家に仕える者や源氏に仕える者に分れて、移動して行ったことが想像されます。松山ケンイチ演じる平清盛とその父を演じる中井貴一の平忠盛の時代に、武氏が同じ時を過ごしていることを感じることができるドラマのため、毎回見ています。

 三浦一族や武氏も、源義朝の父である源為義や、源氏の家臣である鎌田通清、鎌田正清などの近くにいたように感じています。

 この時代は、武家政権に変わる平家と源氏が戦う直前のために、平家の地盤であった関東を源氏の時代に変わるまでを見せてくれると今後も期待しています。
 

武町内会 よろず講座

 投稿者:ミタケ  投稿日:2012年 5月11日(金)23時25分35秒
  平成24年4月7日発行の武町内会新聞でご案内しています。

よろず講座「歴史散歩 太田和・芦名」

郷土の史跡を訪ねる「歴史散歩」、今年は太田和→長坂→佐島→芦名方面を企画致しました。NHKの大河ドラマ「平清盛」には三浦氏が出て来ますが、今回も三浦氏の史跡が数多くあり、この時代を偲ぶ事が出来ます。ぜひ参加下さい。

・日時:五月十三日(日)午前十時~午後二時頃まで、雨天の場合は中止
・集合場所・時間:武山小学校校門前、午前十時

・コース:武小校門前 (十時十五分出発) → 太田和城址 → 正蓮寺 → 祖母神社 → 熊野社
     → 天神島(昼食) → 十二所神社 → 淡島神社 → 芦名城址 → 浄楽寺(解散)
     全長約八キロメートル

・費用:無料、浄楽寺は拝観料五百円(各自負担して下さい)
・その他:昼食・飲み物は用意致します。事前申し込みは必要ありません。
 直接集合場所にお集まり下さい。

・問い合わせ先:武会館(?八五七―一四一八又はEメール take-chounaikai@jcom.home.ne.jp)

お天気も良さそうです。今年も町内会でない外の住人ですが、参加させて頂く予定です。
宜しくお願いします。


 

秦野市の実朝まつり

 投稿者:ミタケメール  投稿日:2011年11月23日(水)07時53分17秒
  毎年11月23日勤労感謝の日に、神奈川県秦野市で「実朝まつり」が「実朝の首塚」と金剛寺で、開催されます。以前この武町で開催された「武町武姓を語る会」にも参加された武真幸(たけ まさき)さんは、鎌倉幕府三代将軍源実朝の首を秦野に持って、祀った武常晴の末裔です。このまつりで、実朝公を供養する代表にもなっています。

http://www.kankou-hadano.org/hadano_lug8/topics_20111121.html
今日は、天気も良さそうですので、これから、出かけてきます。
 

七五三詣

 投稿者:管理者  投稿日:2011年10月21日(金)11時52分44秒
  11月13日(日) 武の三島神社で七五三のご祈祷を行います。希望者はトップページのEメールで申し込み下さい。  

武町内会 よろず講座

 投稿者:ミタケメール  投稿日:2011年 6月26日(日)19時59分55秒
  和田城跡から少し上がった道端にサトイモで親イモを拾って来ましたが
元気に成長しています。

自分のブログで成長観察記録をつけています。

http://blogs.yahoo.co.jp/mitake060114/folder/1415257.html

宜しくお願いします。
 

武町内会 よろず講座

 投稿者:ミタケメール  投稿日:2011年 6月 9日(木)22時59分36秒
  続き

5.この歴史散歩で歩いていた道端にあったものを持ち帰りました。
  一つは、和田城跡から少し上がった道端にサトイモで親イモが半分落ちていました。
  今、自宅の玄関で5つ芽を出し、イモの葉が2,3枚開き始めました。

  もう一つは、解散後、帰りの道端に咲いていた小判草を根付きで持ち帰りました。
  こちらは鉢植えにしたのですが、すべて枯れてしまいましたので草の部分を切り
  ました。来年新芽が出るか、枯れたか分かると思います。

また、武町内新聞6月号で特に2面では、この歴史散歩の記事や連載「三浦氏一族 ⑩
三代将軍 実朝の首も楽しく読ませて頂きました。

今後共、宜しくお願いします。
 

武町内会 よろず講座

 投稿者:ミタケメール  投稿日:2011年 6月 9日(木)22時49分48秒
  五月十五日(日)五月晴れの中、第二回目「屋外よろず講座」歴史散歩「武・初声」に昨年続き参加させて頂きありがとうございました。三浦氏、和田氏に所縁の地を訪れることができて鎌倉時代を考えるには、良い体験でした。

今回の参加で印象に残ったことをいくつか記録します。

1.林八幡社も社が西向きでこちらの方向に富士山が正面に見えたのではないか(見るのを忘れてしまいました)
2.身洗川が非常に狭かったこと。
3.黒石古戦場は、大きな岩に沢山の木が茂っていて、木が無い時を想像すると非常に狭い戦場だったように感じました。それら黒石からは、800年前を感じさせる岩でした。

4.身洗川から三浦半島の大地に上がると360度開けた畑の中を歩いている時、西に富士山、太陽には丸い虹が見えました。この虹は、12時過ぎから午後2時過ぎまで見えていました。初めての体験でした。

続く
 

武町内会 よろず講座

 投稿者:管理者メール  投稿日:2011年 4月21日(木)10時20分22秒
  武町内会 よろず講座「歴史散歩 武・初声」を開催します。
・5月15日(日) 10:00~14:00
・集合場所 一騎塚前公園(富士見小下) 10:00
・コース 一騎塚→林八幡社→身洗川→黒石古戦場→轡堰(昼食)→
     天養院→白旗神社→和田義盛旧里碑→和田城址(解散)
・昼食、飲み物は武町内会で用意します。
・武町内会以外の方で参加希望者は上記にメール下さい。
     
 

函館の武さんについて

 投稿者:ミタケメール  投稿日:2011年 3月 5日(土)22時46分52秒
  薩摩藩士、武氏について

『平家六代高清(平家最後の代)の子「平 清重(小松家初代)」は、
鎌倉幕府も北条時政の頃、大隈郡祢寝(ねじめ)郷の地に落ち延び
生存を許され(1203年)祢寝姓を名乗ったが、鹿児島神宮の前身
「大隈八幡宮」の社人であった建部清房の娘を娶ってから建部姓を
名乗った。

祢寝氏の吉利(よしとし)郷への移封後、重盛が「小松内大臣」と
呼ばれていたことから、姓を「小松」に改める。

なお、小松氏十六代重長の三弟、小松重俊が武氏の祖となる。』

続く
 

函館の武さんについて

 投稿者:ミタケメール  投稿日:2011年 3月 5日(土)22時40分38秒
  2010年1月、鹿児島の武さんに関する沢山の資料を頂いた
函館の武さんとお会いしました。

こちらから頂いた情報は次の内容でした。

鹿児島の武の祖は、平家の流れの小松家(小松帯刀)から分家
して、武姓を名乗ったのが始まりです。

【鹿児島図書館で調査した際、図書「小松帯刀家系図」に武姓
と記されていた。】

また、島津示現流の東郷家とも関係あります。

【示現流祖東郷重位の二代目東郷重方〔慶長9年(1604年)
~万治2年(1659年)〕の3男重貞が、武五郎右衛門の子、
武重宗の養子となった。

 東郷重方は承応2年(1653年)に鹿児島城下武村の能学寺
に父重位の碑を安置した。

 示現山能学寺は武五郎右衛門が寛永16年(1639年)
開基し、初め松陰軒と称していた。】

なお、園田彦左衛門の女子(彦七の姉)が東郷家10代目
重毅に嫁いでいます。

続く
 

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